漆喰壁でできている明石城を知っていますか?
坤櫓(左)と巽櫓(右)
兵庫県立明石公園にある明石城の漆喰壁を見てきました。
もくじ
明石城とは
明石城とは兵庫県明石市にある城跡。別名で喜春城(きはる or きしゅん)、錦江城(きんこう)とも呼ばれたそうです。
阪神・淡路大震災により石垣が崩れるなどの大きな被害を受け、復元。巽櫓と坤櫓は国の重要文化財に指定されています。
(船上城からの移築とされる巽櫓)
(巽櫓の内部)当時ものなので、もちろん木造です。
内部の漆喰壁を触って見ました。
昔の漆喰壁ではありません。触った感じでも質感的にも最近の漆喰で塗り直したようですね。
1999年に修復工事が完了。
2棟の櫓を曳家(ひきや)で移動させて石垣を修復後に櫓を元の位置に戻しました。
戻した後に軸組補正、屋根と壁の修復を行い、同時に巽櫓と坤櫓を繋ぐ塀を復元されました。
これが繋いだ部分と思われます。
木材で見切りが入っています。左側の漆喰壁と右側の漆喰壁を比べると
右側の方が白いのがわかると思います。
これは新しい漆喰壁なので、白く、復元した証拠ですね。
(本丸側から)
(色が違うのでよくわかります)
この白い部分は明治以降存在していなかったそうですが、
復元されました。
明石城の漆喰と黒ずみ
この黒くなってしまった漆喰壁について
・ご自宅やご実家、田舎で蔵など所有されていて景観が気になる方
・街の通りで白い漆喰壁が黒ずんできた。
・観光名所とし漆喰壁をリニューアルしたい地方自治体の方
このような漆喰壁の黒ずみが気になる方は私たちで解決方法を提案できるので、
お気軽にご相談ください。
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漆喰のメーカー ロハスウォール
info@lohaswall.com(24時間受付)
0120ー028ー232(9:00〜18:00 土日祝休み)
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明石城と岡山の繋がり
明石城と岡山はとある繋がりがあります。
明石城を築城する際の城下町の町割(街づくり)を、
当時小笠原忠真の客分だった宮本武蔵が指導したそうです。
宮本武蔵は二刀流の剣術家として有名ですが、多才ですね!
宮本武蔵は岡山出身と言われています。
ロハスウォールも岡山の会社なので親近感がとてもあります。
宮本武蔵がなぜ剣客の宮本武蔵が町割を行えるノウハウや知識を持っていたのか?
私にはよくわかりません。
が、しかし「一芸に秀でる者は多芸に通ず」と言いますから、
宮本武蔵には町割もできる能力があったのかもしれません。
一芸を極めようとすることを通じて
何事にも応用できる「何か」を持っていたのでしょう。
明石城下町の町割です。
(明石城と城下町)
これを見てわかるのですが、明石は港町だったのですね。
自分が船で入って行くのを想像すると、明石城が迫って見えて、漆喰壁もさぞ迫力あったことでしょう。
現代では明石大橋と瀬戸内海、高層建築もあって明石城からの眺めは不思議な景色です。
2017.11.13メンテナンス:読みやすくするためメニューを変更しました。「明石城とは」「明石城と岡山の繋がり」に補足を入れました。